戦争・原発・東日本大震災と広がる無関心


『自分に迷惑が掛からなければ、後はどうでもよい。』この思考をやめよう。これからお堅い話を始める。

日本人は「戦争は良くない」と皆口を揃えて言う。私は、これは日本の過去の歴史を考えた上で出た日本国民の総意なのだと思い込んでいた。しかしよく考えると実態がどうも違う。庶民がこの言葉を言う時頭に浮かべているのは「自分が戦争に行かなくてはいけないかも」とか「息子や知り合いが戦死するかも」とか「爆弾が降ってきて家も財産も失うかもしれない」という様な事だ。この時、国がどうとか、弱者がどうなるとか、人が死ぬ事についてなど、深く広く考えている人は稀だ。

人が死ぬ事について庶民の考えはいたって単純なようで、自分や家族が死ぬのは嫌だが赤の他人ならどうでもよい、という心理が働いているように思う。私はこの庶民の感覚に気付いた時、庶民のレベルに落胆した。そして人のくだらなさを嫌という程感じた。

これを読んでいる人に、『自分に迷惑が掛からなければ、後はどうでもよい。』という原理を除いた上で戦争に反対できる人は、一体何人居るだろうか。おそらくどう考えても小学生程度のセリフしか思い浮かばないのではないだろうか。

私は、出来るなら多くの人にアンケートでも取って聞いていみたい。もし戦争が、過去の大戦のようではなく、現代のアメリカ式になったとしたら、戦争に反対するか賛成するかというアンケートだ。ここで言うアメリカ式とは、中東など地政学上離れた国の戦争で、自国に物理的な被害が起きず、家・財産・人命・経済も影響なく、社会生活も普段通りに送れる『変な』戦争の事である。

この問題を提起しても、おそらく庶民は賛成も反対もしないだろう。ただ無関心であるだけだ。自分に被害がないのなら、もう戦争ですらどうでもよい事で済まされてしまうのだろう。恐ろしき無関心である。

現にイラク戦争の時、自衛隊が補給活動する事について庶民の間から大きなアクションは起きなかったと記憶している。良し悪しを論じていたのは政治家や評論家ぐらいだ。結局補給活動を通じ、日本は間接的にあの戦争に参加した訳だが、イラク戦争終結後、それが正しかったのか間違いだったのかといった議論も、話題にしていたのはやはり政治家ぐらいだった。この国際的かつ大きな流れも、日本国民には直接的な利害が無かったので、詰まる所『自分に迷惑が掛からなければ、後はどうでもよい。』という総意から忘れ去られてしまったのだろう。

ここで話は上手い事次へ繋がる。

日本人にとって最悪の経験である原爆についてだ。

子供の頃から散々聞かされてきた原爆の恐ろしさ。実はこれ、庶民にはあまり正しく理解されなかったのではないかと思われる。原爆の怖さをイメージする時、私たちの頭にイメージされるのは熱で溶けた体で水を求めて彷徨う人々の地獄の様な光景だ。「自分がこんな目に遭うのは嫌だ」というのが、原爆を否定する主な根拠なのだが、じゃぁ自分以外だったらどうかと問うと、話が怪しくなってくる。

また『はだしのゲン』などを読んだ時、誰しも「ああ、昔の事なんだ。終った事なんだ。」という一種の救いを自分の中にイメージする。本当に原爆が怖いと思ったのなら、日本はもっと世界に核廃絶などを訴えていたはずだが、今までそう言った国際的な流れは起きてない。

以前『国際会議で提案された核兵器の非人道性を訴える共同声明に日本政府が署名しなかった』というニュースもあった。過去に国連で「ノーモア・ヒロシマ、ノーモア・ナガサキ、ノーモア・ウォー」と叫んだ人が、たった一人だけ私の記憶には刻まれているが、今はそれだけである。あれだけの事があっても、時間が経つと残っているのはこれだけなのかと、私は人の無関心に呆れる。

その後日本は、忌むべき筈の核をなぜか原子力発電所で使いまくった歴史がある。爆弾は駄目でも、原子力発電所という平和利用ならよいのか。私は子供の頃大いに疑問に思ったものだ。しかし福島の事故が起きた。

そこで脱原発のデモが世間で広がり、過去にも原発反対のデモが繰り返されていた事を知った。多くの庶民にとって、この原発問題も『自分に迷惑が掛からなければ、後はどうでもよい。』という原理から、今日までうやむやで来てしまったのだと思った。それから月日が立ち、今では脱原発デモも沈静化してしまった。人々はまた無関心へ戻っていってしまった。この忌々しい思考をどうにか出来ないものか私は悩む。

マザー・テレサが言った有名な言葉に『愛の反対は無関心である』というようなものがある。この無関心というワードを日本的に言い換えるならば、それが『自分に迷惑が掛からなければ、後はどうでもよい。』という事になるのだろう。この無関心の原理は世界中の人間の問題のようだ。どうにかならないものだろうか。

投稿者:

長門志気

統合失調症と闘うおっさん。いつの間にか病気の症状がなくなっており、今はかねてからの望みだった放送大学での勉学に勤しむ日々を送る。