精神障害者というものは不便極まりない。もしかしたら不便というと言葉は違うかもしれない。そもそも人には様々なパワーバランスというかパラメータ配分がなされている。その違いが十人十色といった個性を実現し、多様性を生む。

しかし精神障害者はそのパラメータ配分が全体的に数ランクダウンしている。この状態で健常者の世界で暮らしていこうとすると当然のことながら無理が出てくる。実力主義・能力主義の時代にあって全体のステータスがダウンしているということは、仕事において得意不得意の問題ではなく、土台からして力不足甚だしい状態に置かれているということだ。

私が痛感した実体験を元にサンプルを示す。分かりやすくする為に、ゲームを例に話を進めていこうと思う。

子供を対象とした任天堂のゲームを除き、現在巷に溢れている様々なゲームの類は、私にとってあまりに難易度が高い。それの最たるものはオンラインゲームで、あの世界で思うように振舞いたいと思ったら、それこそ朝から晩までそのゲームのことを考えている必要がある。

その姿は囲碁・将棋のプロ棋士を思い浮かべてもらえばイメージが掴めると思う。側から見るとたかがゲームに何故そこまで没頭しなくてはいけないのかと思うこともあるだろう。ゲームに没頭しなくてはいけなくなったのには理由がある。それは囲碁・将棋がそうであるように、一般のゲームの難易度と現実世界の難易度との差がだんだん狭まってきたことによる。

現実世界では努力しなくては成功はあり得ない。それと同じようにゲームの世界でも相応の努力をしなくては成功できなくなったと私は考える。

要因は二つあり、一つはゲームのユーザー層の大部分が大人にシフトしたこと。二つ目はお金が絡んできたということだ。プレイヤーの大部分が大人だとプレイヤーに合わせて必然的に難易度をある程度上げておく必要がある。そして課金というシステムがお金を生む現在のゲーム事情を考えると、なるだけ課金してもらえるようにゲーム内容が最適化され、一番手っ取り早い方法として難易度が上がるのだ。

ここで私はある種の絶望を経験した。力不足甚だしい現実世界を逃避する為にゲームを始めたはずが、ゲームの中ですら現実世界の難易度という呪縛から離れられない状況になるのだ。

オンラインゲームでは定期的にイベントが行われ、そこでレアなアイテムなどを手に入れるのが醍醐味となっている。だが私はイベントに全くついていけない。イベントの状況はツイッターなどで拡散し、他のゲーマーが次々とクリアしていったり、攻略サイトなどに書き込みをするなど盛り上がりを見せるが、私は蚊帳の外になってしまう。現実の世界で弾かれた人間が、ゲーム(バーチャル)の世界でも弾かれてしまうのだ。

しかし世間を見ると、皆実に楽しそうにゲームをプレイし、もっと言うとこの平和な時代と人生をも謳歌しているように見える。健常者にとっては自分が常日頃生活している現実世界の難易度設定とゲーム内の難易度設定が同等であり、こんなことを問題視している人がいるなど夢にも思わないのであろう。

皆は何故仕事や学校などで忙しくしているにも関わらず、さらにゲームまで余裕にこなせるのか。そのエネルギーはどこから来るのか。思うに皆は大変だ大変だと口では言うものの、実際は結構人生を楽しんでいるのかもしれない。そんな中、劣等感に苛まれながらゲームをプレイしている私の方が滑稽なのだ。

同じに生きるなら、私もあっち側の人間になりたかった。残念。