統合失調症の私を支えた偉大な祖父のこと


現在午前五時。今私は真っ暗な公園にいる。私はこれを紅茶花伝とタバコを片手にベンチに座って書いている訳だ。紅茶花伝には大変な思い入れがあり、今は亡き大切な人と過ごした日々などを思い出している

私の闘病生活も長いものだが、かつて私には最強の協力者がいた。その人物は私の母方の祖父で、協力者でもあり、良き理解者でもあった。私は大のおじいちゃんっ子で、子供の頃は一緒に住んでいたこともあるし、我が家が引っ越してからも極近場に住んでいたので大変可愛がってもらった。

祖父は私が病気になった後も毎日のように我が家へ様子を見にやってきた。引きこもり同然の生活をしていた私にとって、祖父は外の世界から来る数少ない存在だ。

祖父はいつも紅茶花伝を買ってきてくれた。その他にもフルーツやチョコレート、それに花の植木鉢も頻繁に持ってきてくれた。神社のお守りやキーホルダーなども沢山買ってきてくれた。祖父は私が家に引きこもっているのを心配し、散歩がてら祖父の家に来るような習慣をつけたら良いとアドバイスしてくれ、以来何年にも渡って祖父の家へ通う生活が続く事になった。

私の家と祖父の家は多摩川に近く、土手を通って行くのがベストなルートだ。祖父はこれが散歩道となって私の病気に良いと考えてくれたのだろう。祖父は私に事あるごとに「イライラしたら多摩川へ行くんだよ。」とアドバスした。

祖父の家へ行くと言っても大体四十五分程、紅茶花伝を飲み、りんごやお菓子を食べながら雑談する程度であったが、今思うとそれが当時の私には最高のリハビリになっていたのが分かる。晩年は力仕事などのちょっとした手伝いなどもしたが、一つ一つをとても喜んでくれた。祖父と過ごした時間は、かけがえのないものだった。

ある時私がリハビリの為にコンピュータスクールへ通いたいと言った時、その授業料を工面してくれた。おかげで私はホームページ作りなどが出来るようになった。HTML・CSS・JavaScriptといったものの基礎を習得出来たのは祖父のおかげだ。今考えると、病気になった後に何かを習得出来たという体験はこのホームページ作りだけかもしれない。

その様な金銭面では大変お世話になっている。祖父が脳卒中で倒れ、医者からもう意思の疎通は出来ないと宣告された時、叔父が祖父の部屋から二十万円を見つけた。それは私がパソコンが欲しいのにお金がないと困っていた当時、祖父が私の為に用意してくれていた二十万円だった。

叔父も立派な人で、その事情を知った叔父は「お爺さんの意志を継ぐ。何も言わずに受け取ってくれ。」と私にまるまるそのお金をくれた。そのお金を使って良いものかどうか私は大変悩んだ。

結果それはMac miniととあるドメインを買うのに使うことになった。その頃の私は情報学という大きな夢をもっていた。が、自由になるお金がなかったので、七年使い続けたPower Mac G5しか手元になかった。私はそのお金を自分にとって『夢』という何よりも大切なものを得るために使ったということだ。

その他にも祖父との思い出話はいくらでもある。病院への送り迎えのついでに寄り道のドライブをした事や、お昼に食べている何気ないうどんが絶品だった事、中学の入学祝いに小型テレビを買ってくれた事、私が家出した時のために祖父の家の特定の場所の鍵だけが夜も開いているといった秘密などなど。

そして脳卒中で倒れた祖父を最初に発見したのが同居している親戚ではなくいつものように遊びに行った私だったという事も。

祖父との関係では何よりも精神的な支えになってくれたという事が何にも代え難い。私が人の道を踏み外さなかった事も、病気になったのに自分を嫌いにならなかった事も、すべては祖父が私を可愛がってくれたから、祖父の顔に泥を塗るようなことはしないというのが私のポリシーになったからだった。

その祖父が亡くなってから随分な時間が経った。正直寂しいし心細い。この紅茶花伝を見る度に祖父と過ごした時間を思う。未だに私の病気は治らない。もう日が出てきた。家へ帰ろう。

追記・私の産声を聞いたのも祖父だった。父は海外出張中だった。

投稿者:

長門志気

統合失調症と闘うおっさん。いつの間にか病気の症状がなくなっており、今はかねてからの望みだった放送大学での勉学に勤しむ日々を送る。