放送大学で学ぶという事

私はかなり長い期間『放送大学』に在籍している。通信制大学ゆえ、普段は学生同士の交流などは特にない。しかし学期末『単位認定試験』の時だけは、所属学習センターへ地域の学生がどっと集まる。放送大学の学生は、年齢層もバラバラで、職業も人間的なバックグラウンドもまるで違う人達が集まっている。ここがとても面白いところだ。ここでは私が感じた事をいくつか記録に残しておこうと思う。

基本的におっさんおばさん

放送大学の特殊なところは『生涯学習としての教育機関』という面が強いところだ。二十歳前後の若者に会うことは稀で、学生は基本的におじさんやおばさんばかりなのだ。働き盛りの40代や、定年後のセカンドライフを悠々自適に楽しめる世代が、何故かわざわざ学費を払い、貴重な時間を割き、真面目にテキストと格闘している。みんな本当に勉強熱心で、真面目であり、私語もほとんどない。学歴の取得のみを目的に勉強させられている他大学の学生とは、何かが根本的に違う。ここを一つ解説しておきたい。

過去の出来事の答えを求めている

人生経験を積んでくると、自分の人生や社会の出来事に納得できない事が多く出てくるものだ。過去に起きた色々な出来事に答えを出さないまま、ただ時間だけが忙しなく過ぎて行くという事は誰にでもある。そんなとき人は、人生のいずれかの段階で、ふと立ち止まる時期が必要になるのだと思う。何故あの時自分があんな目に合ったのか、何故あの時あの人はあんな事を言って来たのか、おそらくそう言った事の答えを知りたくておじさんやおばさんは放送大学に来ているのだと思う。なので学士の資格が取れるとか、キャリアアップの為とか、そういう実利的な事のみでは、ここの学生の高いモチベーションを説明する事は難しいと思う。

いろいろな人がいる

放送大学の学生を見ていると人間って面白いなと思う。いわゆる普通の人っていうのはいくらでも居るが、一人一人をよく見て行くと、それぞれに異なるバックグラウンドがある事が分かる。皆それぞれ職業が違うので、服装や顔つきに違いがあり、そもそも主婦や無職や定年退職後の人もいるので、既存の学校教育の様に『みんな同じ』とか『同調圧力』といったものがそもそも成り立たない。それなのに皆が単位認定試験という目的のみを共有し、秩序をもってそこに集まっている。これはまさしく多様性(ダイバーシティ)なのだと思う。

単位認定試験会場の変人

多様性があるという事は、中には変人もいるという事だ。真夏なのに長袖長ズボン、ニット帽と大きなリュックで両手に杖を持った若者がいた事がある。まるで真冬の雪山からワープして来たかの様だった。それに江戸時代の粋な若旦那風の着物を着たイケメンがいた事もある。何か伝統芸能に関わる仕事をしているのかもしれないと思った。さらに喫煙室でパイプを燻らせているとても太った大男もいた。彼の所為でそこら中にココアの様な甘ったるい香りが充満していた。これらは私の記憶に強く残っている変人たちである。

高いレベルの秩序

大人が集う大学として他大学に自慢できる事は『高いレベルの秩序』だと思う。待ち時間にロビーで騒ぐ人はおらず、飲食は決められた場所で行い、ゴミは持ち帰る。たくさんの人が居るにも関わらず、図書館に負けないくらい静かだ。テスト開始が遅れる事などはまずない。何故なら皆が自然に10分前行動を出来ているからだ。おじさんおばさんにとっては社会人としてごく当たり前の振る舞いをしているに過ぎないのだが、それがとても高い秩序を生んでいる。20代の若い学生たちもそんな大人に引っ張られて行儀良くしている。

学びの場としては天国

しばしば『放送大学は本当の大学なのか』という問題をつついてくる人がいるが、愚問である。もちろん全日制の若者メインの大学とは違う。法的にも放送大学学園法という特別な仕組みの上で成り立っている学校であり、岡部学長曰く『国立大学よりも国立な私立大学』なのだそうだ。だが、ここの学生はバイトやサークル活動に明け暮れる心配はなく、学費も安く済み、就活のプレッシャーもない。本当に学びたい人だけが、各自好きな科目を思い思いに学んでいるのだ。この学びの殿堂を大学と呼べないのなら、いったい何を大学と呼ぶのだろうか。私は、放送授業・面接授業・学内ネットなどを駆使しての能動的な学びが、決して他大学に劣るものではないとの自負をもって、日々の勉学に励んでいる。