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自粛ムードでどこも空いている

私は人混みが苦手だった。ひきこもりだし、統合失調症でもあったから、それは無理もない話だ。でも、私は長い年月をかけてそれを克服した。今はどんな人混みの中でも、雑踏の中でも、特に疲れることもなく、楽しんで帰ってこれる。私の病状はそれほどまでに良くなっている。

そんな中、新たに始まった新型コロナによる自粛生活。

特に緊急事態宣言が出て以降は街から人が消えた。政府の「不要不急の外出は控える」との号令で、人の移動が8割から9割程度も抑えられているという。

その結果何が起きたかと言うと、街が空いているんだ。人混みの苦手な私にとってはまさに天国のような街だ!

もちろん私もなるべく家に居るようにしているが、精神科に通院するときなどに電車に乗ると実感する。駅もホームも車内も空いている。病院も空いているし、薬局も空いている。どこも空いている。これが私にとってとても居心地が良いのだ。

この非常事態下の異様な事態に直面してみて、それを心地よいと感じる自分に、私は少し妙な気持ちを持った。

というのも、私が引きこもりになってしまったのは人混みが苦手だったという事も大きいが、そもそもこの東京の街に人が多すぎたからなのではないか、という事に気づいてしまったからだ。今の、この空いている居心地のいい街なら、かつて病状の悪かった頃の私でも、外を楽しくお出かけできていたはずだ。

だとしたら、私が散々悩まされてきたひきこもりという問題は何だったのか。そういう視点でこの街を捉えると、やるせない気持ちになる。そして、もはや自分の病気というのがなんだったのか、よく分からなくなってしまう。

そもそも私は本当に病気だったのだろうか。東京の街に人が多すぎただけで「思春期の私がちょっとそれに対応できなかっただけ」という可能性はないのだろうか。そもそもの街が、今のように静かな状態だったならば、私は引きこもりになんてならずに済んだのではないか。

私が放送大学在学中に受講した講義では障害者の生きづらさについてこう解説されていた。

障害者にとってのバリアとは、障害者自身の特性に存在するものではなく、障害者の存在を想定していない社会の方にあるのではないか。

この授業の解説を思い出すと、少し答えが見えてくるような気がする。

もしかしたらだけど、世が世なら、私は障害者ではなかったのかもしれない。そういう可能性もあったのかもしれない。人の居ない街を歩いていると、そんな気がしてならない。

こういう事を言うと「病識がないのか」とか思われそうだが、そんなに笑いたければ勝手に笑えばいいさ。

ただ、人というのは様々な特性を持って生まれてくるのだから、それをよく考慮しないとメンタルの問題は解決できないということは確かだろうと思う。なので未だに私に寛解の診断すら降りないという現状を考えれば、医師たちや私自身が何かを見誤っているという可能性は大いにあるのだ。