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三億円事件(軽い読み物)

我が地元は東京都府中市。ここは東京競馬場(府中競馬場)があるというので有名な東京都下の街だ。昔、とある旅先で親しくなったおじさんから「どこから来たの?」と聞かれたとき「東京の府中市というところです!」と答えたら「あ、府中競馬場のあるところ?」という返事が返ってきて、話が盛り上がった経験がある。

そのくらい知名度抜群の競馬場があるのに加えて、我が府中市には他にもいろいろなものがある。例えば多摩川競艇場(多摩川ボートレース場)や、多磨霊園、府中刑務所などなど、イメージ的には微妙だが知名度は抜群な施設というのが多数ある。

府中刑務所というのは都会のど真ん中に建っているという意味では珍しい刑務所になる。それは、当然のことながら、囚人が脱走した場合に、いとも簡単に逃亡が図られてしまう恐れがあるからだ。都会の交通網、豊かな物資、人の波に紛れやすいという利点は、脱走者にとってはとても都合がよい。なので、この刑務所にはそういった脱走の恐れのある凶悪犯などはそもそも収容されない事になっている。

この府中刑務所は刑務所としてより、その道路脇で起こった三億円事件の舞台としてのほうが世間的には知られている。昭和の時代を代表するといってもいいこの事件は「現金輸送車=ジュラルミンケース」というイメージを世間に定着させたほどの、世間の注目を集めた劇場型事件(窃盗もしくは強盗)だった。結局のところ、いまだにこの事件に人々の興味が向けられ続けているのは、三億円という金が今もまだ見つかっていないからだ。三億円はどこにいったのか。もしかしたら犯人がどこかに隠してそのままになっているのではないか。そういったお金への興味が人々にはウケているのかもしれない。

この事件は再三に渡って議論されてきたし、創作物も多数出版されたこともあって、今更私がこれをネタにするのも、もう時代遅れなのかもしれない。でも、今、ちょっと頭をかすめた私の推理を、どうせ暇だし、せっかくなのでこの投稿で披露したいと思う。既にどこかで出回っているネタと被ってしまっていたら申し訳ない。いつの時代も、たとえどんな突拍子もない事(や独創的アイデア)であったとしても、自分と同じ考えを持っている人はほかに必ず三人は居るだろうから。

さて、前置きはこのくらいにしておこうか。

まず、仮にその奪った三億円を犯人がどこかに隠しておこうと考えた場合、隠し場所はどこが最適だと考えるだろうか。ほとぼりが冷めてから金を使うつもりなら、かなりの長期間隠しておける場所が必要になる。もし、私が犯人なら、地の利を利用するだろう。たとえば同じ府中市内にある多磨霊園とかが最有力候補となる。多磨霊園というのは関東圏最大の墓地である。多くの墓が建ち並ぶと同時に、あまりにも多くの著名人が眠っていることから、普段から人の出入りが一定数あり、犯人にとっても出入りが怪しまれにくいという、まさに隠し場所として考えた場合には願ったり叶ったりの場所。それが多磨霊園なのである。

もし、どこかのお墓の中に、骨壺の代わりに大量の札束が隠してあったとして、それに誰が気付けるだろうか。他人様の墓を暴くなど、そんな墓荒らしのようなことを考える不届き者は滅多に居ないだろうし、ましてや警察の捜査の手が伸びてくるなんて可能性は皆無に等しい。仮に墓を調べる事になったとしても、あの大量の墓を一つ一つ人力で調べるというのは現実的ではない。ましてやそれが墓ということになると世間からの非難が轟々と浴びせられるのは目に見えている。「ヤバイ物を隠すなら墓」である。これは犯罪者にとってはよく知られた手ではあるものの、それを多磨霊園でやったとなれば、それはかなりスケールがデカい。

ほかに考えられるのは、刑務所の職員が犯人だった場合だ。考えてみてほしい。そもそも犯人は、犯行においてもっとも重要となる現金輸送車襲撃地点を、何で刑務所脇なんかに設定したのだろうか。おそらく計画段階から決まっていたであろうこの襲撃ポイントには、犯人なりに何らかの合理性があったのではないか。

だとしたら犯人は刑務所関係者だと考えるのは自然な流れになる。奪った三億円の隠し場所として考えたとき、刑務所は無敵だ。刑務所はまさに鉄壁の防御で固められた施設であり、国民のほとんどの人間からの外部アクセスを物理的に遮断。そして刑務官に対する高い社会的信頼性を考えると、警察からも容易に疑われることはないという。仮に警察が内部の囚人と外部の犯人が連携することを想定できたとしても、まさか刑務官が犯人であると考える事はありえない。しかし、囚人と違って、刑務官なら刑務所内への出入りは比較的自由であり、所内の移動もどうにかなるのは事実。

もし、奪われた三億円が、刑務所という自由の効かない領域に隠されていたとしたら、それを見つけ出せる人は事実上皆無となる。 それに現実的に考えて警察が刑務所を捜索するなんて事態はまず起こりえないだろうし、実際にそれをやったらかなりのスキャンダルになる。これは世間からの非難が向けられるという点では多磨霊園の説とも共通する要素で、捜査関係者にとっても実行するのはとてもハードルが高い事だ。

今度は奪った金を使える金にロンダリングするパターンを考えてみたい。ここまでの話の流れで勘のいい人ならピンと来たかもしれない。そう。地の利を活かすなら府中競馬場の出番である。競馬場で使われるお金がどの程度のレベルで管理されているのか私はよく知らないし、時代によっても異なるだろうから、この説はあまり自信がない。だが、せっかくここまで書いてきたのだからついでに最後まで書いてしまおうと思う。

とにかく、犯人がやることは「奪った金をレースに賭ける」という、ただそれだけなのである。単勝である必要すらない。複勝の馬券でいいのだ。複勝という馬券は、その馬が3着以内に入りさえすれば当選となるような一番高確率で当たる馬券である。複勝は、当選の確率が高い分、払戻金は少ない。でも、犯人からすればオッズは関係ないのだ。適当に1番人気の馬に賭けてさえおけば、余程大荒れのレースにでもならない限り3着以内には入ってくれる。

競馬においてオッズが1倍を切ることはほぼないし、損が出るどころかいくらかお金が増えて還ってくるという目論見で、資金洗浄の方法としてはこれ以上効率的方法はないだろう。

この方法は、海外では以前からカジノ(賭博場)でよく行われていた方法である。今となっては各国の対策が進み、容易には資金洗浄など出来なくなった訳だが、三億円事件が起こった当時の昭和の日本は果たしてどうだったのだろうか。資金洗浄対策がどの程度出来ていたのかは謎だ。

ちなみにこの説は、その舞台を多摩川競艇場に置き換えても成り立つだろう。

地の利を活かすという視点から考えれば、我が府中市は犯人にとって実に都合のいい立地にあるという事が分かる。もし、これらの説のどれかが、少しでも真実とリンクしていると考えるならば、事件は起こるべくして起きたと言ってもいいのかもしれない。

結局この事件は既に時効が成立し、迷宮入り。未解決事件となってしまっている。

いかがだっただろうか。こういう風に事件を書いてしまった以上、読んでくれた方には、我が府中市について何やら不穏な印象を与えてしまったのではないかという心配があるのだが。

誤解しないでほしいのは、実際の府中市はとても住み良い、緑豊かな穏やかな街だということ。その東京屈指の平和な街で起きた、世にも奇妙な事件。それが三億円事件だったということなのである。