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ビジネスとは騙しだ 世の中が下卑ている?

生きていくには働かなくてはいけない。しかし私はどうしてもビジネスという考え方に嫌悪感が付きまとう。『ビジネスとは何か』という問いに、私は迷わず『騙しだ』と答える。

商いの基本原理はどんな馬鹿でも知っている。『一方で安く仕入れ、他方で高く売る』ということだ。この過程ではどうしても騙しが必要になる。安く仕入れるということは、作り手の利益が減ってしまうということだ。高く売るということは、必要以上に掛け値をしても良いという、客にいかに損をさせるかということだ。

現在では長引く不況により客も賢くなり、また様々な法規制もあり、あらゆる面で客を騙しにくくなった。そこで昨今、多くの企業経営者が客の代わりに自らの従業員を騙すという方法をとった。低賃金やサービス残業だけに飽き足らず、ブラック企業を成り立たせるためにあらゆる手段が模索されたのが現在の企業の姿である。

多くの人は企業・自営業問わずなんらかの商いをしている。その中でこの騙しという考え方が世間に広く浸透してしまった。皆は不利益を被るのが嫌なので、それを避けるうちにだんだん人と人との距離が離れていき、今や隣の家の人がなんの人なのか分からないという程の無関心が充満している。持病を隠して生きる私は幾分それに救われてる部分もある。

私の病状を前の医者は『若干幼い』と指摘したことがある。自分で言うのもアレだが、私は馬鹿正直で人情が厚い。あとあまりに優しすぎる。そんな人間が上記の様な騙しの社会に放り出されてやっていけるわけがない。

私の病状が安定してきている今、私は病気云々といったことよりむしろその部分における違和感と戦っている。私の価値観、言い換えると私の今のありようが、社会で生きてゆく為に必要なダークな要素をことごとく喪失している状況なのだ。これは長い闘病生活の上で出来上がった病気の副産物だと思われる。

健常者は成長の過程で社会をうまく立ち回れるようによく訓練されている。一方私はというと中学一年で人生をドロップアウトし、以後家族親類以外の人間とはほとんど関係を持たなかった。私はテレビとネット越しに世間を眺めているだけで、社会には参加できず常に傍観者であった。私は傍観しているうちにいつの間にかこの世界の住人ではなくなってしまったような気さえする。

ビジネスや騙しといったものを考える時、私の中には常に『世の中下卑ている』という感覚があるのだが、皆は別段どうとも思っていないようだ。一人前の人間、一人前の大人ならば、世の中下卑ているなどとは思わないであろう。世の中を素直に受け入れ肯定し、積極的にその中で立ち回っている。実に立派である。

私は今後どうしたら良いか。足りない要素を埋めて社会に出て行く練習をするか。それとも今のありようでも通用する世界を探して回るか。なにもビジネスだけが世の中ではない。私に出来ることが他に何かきっとあるはずだ。

以前のエントリー『士農工商理論』によると、私は根っからの職人気質だ。ビジネスではなく、何か作ることを目標にすべきだろうと思う。実はこのブログも何かを作るという事の練習として書いている。実はこのブログ、現在の執筆時点ではネット公開していないのだ。まとまった量の記事が溜まる、または今年一年が終わる、その時が来たらまとめて公開しようと思っている。なるだけ完全なものを一つの作品として公開したい。こう考えてしまうのも私が職人気質だという証拠だろう。

私は活字が苦手だから、過去のエントリーも頻繁に手直ししている。統合失調症の身の上ではこれが出来る事の精一杯である。今年中にまとまった物が完成する事を目指している。