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カテゴリー:Blog (1)

これは私が2014年に開設した初期ブログのカテゴリーです。今考えるとこれは当ブログと、その後の私のネット活動の原型となるものになりました。当時の私は文章を書くのがすごく苦手で、1年かかっても数十回しか更新できないという、ブログとしてはあまりにも不本意な出来になりガッカリした事を覚えています。

ゲームの難易度が高すぎて現実逃避できない

精神障害者というものは不便極まりない。もしかしたら不便というと言葉は違うかもしれない。そもそも人には様々なパワーバランスというかパラメータ配分がなされている。その違いが十人十色といった個性を実現し、多様性を生む。

しかし精神障害者はそのパラメータ配分が全体的に数ランクダウンしている。この状態で健常者の世界で暮らしていこうとすると当然のことながら無理が出てくる。実力主義・能力主義の時代にあって全体のステータスがダウンしているということは、仕事において得意不得意の問題ではなく、土台からして力不足甚だしい状態に置かれているということだ。

私が痛感した実体験を元にサンプルを示す。分かりやすくする為に、ゲームを例に話を進めていこうと思う。

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日常に潜む様々な精神障害者 病識の重要性

統合失調症の当事者である私が言うのもなんだが、世の中には本当にキ○○イが多い。世の中は悪い意味で、本当に複雑かつ多様である。

おかしい人から迷惑を被った人達が書いたであろう怒りの書き込みや、それを集めたまとめサイトなどを見ると、本当に酷い話が極身近に存在する事を思い知る。そしてそれが脚色された分を差し引いたとしても胸糞悪い話であることに変わりはない。

私はこのブログの冒頭にデイケアに通ってくるような人は皆優しく無害であると擁護する一文を書いた。それは間違いではない。なら何故こうまでも壊滅的に酷い状態の人達が社会に蔓延しているのか、それを当事者である私が少し解説する必要があるだろう。

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障害者の僻みと妬み 酒・車・セックス

今の世に、あまり意味のない三つのものというのがある。それは酒・車・セックスの三つである。これらは、これといってハンデがある訳でないならどんなバカにでも出来る事と言い替えることができる。どんなバカにでも出来るから、世間に広く浸透している。

面白いのは、人々がこの三つの事柄を楽しみだと思っている事だ。時にはこれがステータスになる事もあるし、これらをやらない人は、やる人から見下される理由になる事もある。酷い人はこれらに取り憑かれているのではないかと思えるほど頭の中の大部分をこれらが占領している。

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三十歳の誕生日 素直に喜べない焦りの年代

とうとう私も三十代に突入してしまった。病気の症状が出たのが中学一年であったからもうすぐ病歴も十七年になる。地獄みたいな人生だったが、よくまあここまで生き延びたものだ。素直に誕生日を喜ぼう。

三十代といえば世間ではアラサーなどと呼ばれ何かと話題になっているようだが、私には関係のない話だ。精神障害者である私には、結婚という選択肢が始めから与えられていない。誰が好き好んで精神病の人と結婚するだろうか。配偶者が後から精神病になるパターンはあるだろうが、その逆は聞かない。私のところにお嫁に来るなんぞ不幸の研究でもしに来るようなものだ。

だから世間で婚活に勤しんでいる人達などを大変うらやましく思う。

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パソコンをやめる そしてiPadへ完全移行

以前の宣言通り、私はパソコンをやめてiPadへ完全移行した。情報学者の夢は無残に敗れ、Web開発もしないならもはやパソコンなんて要らない。iPadで全ての用事が事足りる。

しかし私にとってパソコン、特にMacは人生そのものだった。精神病だと分かる前、夜学の高校に通ったり、また引きこもりとして暮らしていた頃からの付き合いだ。パソコンは私の生活の中心だった。それをやめるのは辛い。

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本物のヒトとは老人の事かもしれない

私達は本当に人なのか。実は『ヒトのようでヒトでないモノ』ではないのか。どうにもそう思われる。今までの記憶を探っても、おおよそ人らしい人に出会った記憶が無いことに気付く。世界を埋め尽くす『ヒトのようでヒトでないモノ』を、私は『ヒト=モドキ』と名付けることにする。

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どういう訳か女性の書いた文章しか読めない

私は本を読むのが大の苦手である。本は苦痛でしかなく面白くも何ともない忌むべき物だった。しかし勉強をするにしても新聞を読むにしても活字は避けて通れない。私はそれがコンプレックスだった。だが私は自分の脳味噌の構造について画期的発見をしたのだ。それは単純明快だった。『女性の書いた文章なら何の苦もなく読める』という発見だ。

ある時私は放送大学のテキストと格闘していた。私は学問を修めることを志していたので、大学卒業は絶対条件だ。なのに大学から送られてくる大量のテキストが、私にとって高いハードルだった。

しかし『日本語からたどる文化』という授業のテキスト(本・印刷教材)を読んでいるうちに今回の妙な発見があった。この科目は大橋理枝教授とダニエル・ロング教授、二人の教授による科目だった。全15章のテキストは、章によって二人が分担で執筆していた。私はロング教授の章はこれまでのように辛かったが、大橋教授の章はいとも簡単に読み進めることが出来るのだ。

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差別を生む脳の仕組み 私の考察と持論

人が何かを見たとき、それが何であるかを認識すための順序というものがあるようだ。これを仮に識別順序と呼ぶことにする。

人は何十何百の評価を瞬時にこなし、相手が何であるかを判断する。その評価の結果、相手が敵か味方かを判断している。判断のための優先順位が上位であるほど、その要素は重視される。優先順位が下位の項目で良い判断が多く出ても、上位のたったひとつの判断に勝てないこともある。これらの人に内蔵されているプログラムを意識すると、差別の問題に直結していることがよく分かる。以下解説を行う。

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夢をあきらめさせようとする最悪の助言

人の願いというものは非常に強力な力を持っている。人類に与えられた力の中では最も強力なエネルギー源だ。その力は恐らく愛の力よりも強力だ。愛は相手の幸せを願うこととも言える。もし愛情余って憎さ百倍になり、相手の不幸を願うような事になったらどうだろうか。感情としての愛は相手の幸せも不幸も願うことが出来る。つまり本質的には「願う」という部分が重要なのである。願いは言わば様々な感情の「動力源」としての性格を持ち合わせている。

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富・名声・力 異質な者と協力する事で成功する

富・名声・力の三点すべてを手に入れることは不可能である。これは私独自の世界認識ではあるが今のところこれを否定する根拠を私は知らない。ただし二つまでなら可能だ。

『富と名声』を手に入れた人物として最も想像しやすいのは芸能人である。芸能人の名は国中に知れ渡り、ギャラとして莫大な富を手に入れる。しかしその二点を手に入れた代償で三点目の力を手に入れることはできない。

芸能人が自衛隊を動かすことはないし、また政治の世界で大成することもない。芸能人がその知名度を利用して政界に進出することがあるが、大抵の場合ほぼ無力に等しい。

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